現代写真研究所
2021入江ゼミ写真展
さくひん集
2021年の入江ゼミ写真展は、コロナ変異種の拡大が収まらないなかで、やむなく中止としました。前年に続いての中止でとても残念な思いです。サイト上での作品紹介となりましたが、ご覧いただければうれしい限りです。
写真をクリックして拡大してご覧ください。
個々の作品は撮影者の著作物です。
許可のない複製・転用を禁止します。
©2021iriezemi.All Rights Reserved
入江ゼミ展「共生」を開催するにあたり、私たちの理念としてきた「平和との共存」を念頭に都市・街・地域・家族また自然の中に足を運び、各自のテーマに沿って撮影をしました。見慣れた場所でも季節や天候、時間帯によって新たな発見に出会ったとき、写真表現の奥深さや歓びを感じとることができました。
『クリスタル』 特別出展 入江 進
東京都の水源かん養林となっている、山梨県小菅村の雄滝は清流そのもの。雨が降ってもほとんど濁ることのない透明な水は、寒波の襲来と共に姿を変える。深山のアートを見るためには、末端冷え性の身体も我慢してくれているようだ。
『渋谷 -コロナ禍で-』 白石 暁生
新型コロナ感染拡大収束の兆しがないまま、2年目に入った。多い時には50万人が行きかう渋谷に人がいない。
『多摩散歩』 原田 敏朗
2020年は歴史に残る“新型コロナ禍元年”となった。遠方への旅行や撮影に出かける機会が減り、一人で身近な「多摩地域」を歩きまわる日が増えた。そして気ままな散歩中に出会った心惹かれる情景にシャッターを切る。この一年で近隣の土地勘が豊かになり、新たな出会いや発見があった。
『川口元郷界隈』 江藤 正弘
川口市の南部、元郷・領家・末広・栄町とその周辺の街を撮影した。この辺りはかつて鋳物の街として栄えた。現在は高層マンションや建売住宅が増加して鋳物工場は少なくなったが、人口が増え街並みは活気ある街となった。撮影にあたっては、光線の具合を重視した。
『夜の顔』 榎本 佳恭
コロナ禍で漠とした不安のなか、密を避け夜のまちに出かけた。心地よい小雨とさわやかな風を受け、気ままな散歩道、ちいさな小さな旅気分。
『スローライフ』 須永 純子
息子夫婦は古き空き家を修復し、那須で暮らし始めて4年。野放図に育った大木のある庭が、安らぎの場になっている。片隅の菜園で採った野菜が我が家に届く。「コロナに負けるな! 美味しい野菜で元気だしてね」と。コロナ禍、二人は稲穂の実る田んぼ道を走り、念願だった雲巌寺(臨済宗妙心寺派の寺院)を訪ねた。
『荒川・隅田川散策』 吉川 隆
家から出られない日々が続き、近隣の荒川、隅田川を歩くのがやっとの状態。それでも多くの人達が土手の散策に出かけている。「夜の8時までには家に帰りましょう」という緊急事態宣言が出され、その時間までしっかりと歩き回って何とかストレスを発散させている。
『快速電車が停まらない町』 川地 素睿
土・日曜日には中央線の快速電車が停まらない西荻窪。昭和のにおいが残る街並みは行き交う人にやさしい。小さな飲み屋が軒を並べ、風呂帰りの手ぬぐいを軒にかけて住む人もいる。クラシックな喫茶店や古本屋、八百屋があり、子どもたちの通学路でもある。そんなまちに惹かれて歩いてみた。
『チンチン電車健在(都電荒川線)』 中西 勝彦
明治から昭和にかけて、東京の主要道路を網羅し、都民の足としていた都電。戦後の経済成長に伴う車の増加で、バスや地下鉄に代替えされた。しかし、人々の強い要望で50年程前、専用の軌道がある三ノ輪~早稲田間を繋げ、唯一の都電として存続した。利用者だけではなく多くの人に親しまれている。
『私のふるさと』 宮寺 幹夫
高齢になると子どもの頃の思い出が詰まった場所が、とても懐かしくなる。今日もカメラを手にして新しい出会いを求める。
『伊豆・ジオの貌(かお)』 名倉 忠義
南の海で生まれた火山島が本州に衝突し、伊豆半島が誕生したと云われている。その特異な地質は柱状節理などに形成された岩石を観察する事が出来る。天城山を中心とした溶岩の大地には照葉樹が育ち、その林床からの栄養分を含んだ水が豊かな海を育む。
『森の重鎮たち』 伊藤 亨
時には生死をわけた時空を通り抜けてきたのだろう。生き抜いてきた森の樹々は多様で、圧倒的な存在感がある。
『地獄橋・冠水橋』 深澤 大三
沈下橋(西日本の呼び名)は四万十川が有名だが、関東でも地獄橋・冠水橋(関東での呼び名)がある。古来、木造造りで建設費が安く抑えられることから、山間部で交通量の少ない地域で生活道路として造られた。近年台風などの豪雨で多くが破壊され、永久橋に架け替えられるか、廃橋になり少なくなった。
『帰還困難区域』 清水 和雄
東日本大震災から10年が経った。福島第一原発の事故で、帰還困難区域はそのままの状態である。廃棄物を処理する技術は無い。「核」との共生は出来ない。
『霞ヶ浦海軍航空隊跡』 増田 康雄
霞ヶ浦海軍航空隊は1922年(大正11年)全国で3番目に作られた。ここでは飛行機の操縦要員の養成と教育訓練を目的とした。1945年8月本土決戦態勢の中で敗戦を迎えた。現在も飛行場跡や司令部跡は農耕地や大学、食品会社、農機具会社が使用している。
『わが町は野菜の夢産地』 江坂 美代子
川に挟まれた江戸川区は農業が盛んである。屋敷のそばに農地が広がり、ビニールハウスが立ち並ぶ。農家さんは土を耕し種を蒔き、雑草を取り、苗の育成に愛情を注ぐ。去年の日照りは身に応えたことでしょう。案じながら私は時折販売する野菜をいただく。一枚の葉っぱも無駄にしないようにと心に決めて。
江坂さんが、5月15日に急逝されました。体調が万全でない中展示会の準備に、最期まで心血を注いでこられました。入江ゼミを7年有余支え続けた活動に心から感謝の思いを申し上げます。
最後までご覧いただいてありがとうございます。写真は個人の著作物ですので無断使用、転載はご遠慮ください。感想やご意見などがございましたら下記からご連絡ください。